北九州監禁殺人事件

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2011年11月26日 (土) 23:23時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版

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北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)は、2002年平成14年)3月に北九州市小倉北区で発覚した監禁殺人事件である。

現在の状況

北九州市のマンションで少女を監禁し、少女の父親など6人を殺害した罪に問われ、1審と2審で死刑判決を受けた男の裁判が最高裁判所で開かれ、被告側が「関与していない」と無罪を主張したのに対し、検察は「史上まれに見る凶悪事件で、極刑は当然だ」として、死刑を求めた。

松永太被告(50)は、交際していた緒方純子被告(49)と共に、北九州市のマンションで少女を監禁し、平成10年までの2年4か月の間に少女の父親や緒方被告の親族合わせて6人を次々に殺害したとして、殺人などの罪に問われ、1審と2審は死刑を言い渡した。2011年11月21日、最高裁判所で開かれた裁判で、松永被告の弁護士は「殺害の指示も実行もしていない」として、改めて無罪を主張。

一方、検察は「生活資金を得る目的で、被害者たちを暴力で支配したうえ、利用価値がなくなると家族どうしで殺害させ、みずからの手を汚すことなく犯罪を行った。史上まれにみる凶悪事件で、極刑をもって臨むほかない」として、死刑にするよう求めた。判決は、近く言い渡される見通し。

共犯の罪で起訴された緒方被告は1審で死刑を言い渡されたが、2審で無期懲役となり、検察が上告している。

概要

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶちまけさせて相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と容疑者の松永と緒方を厳しく非難した。

非常な残虐性・悪質性にもかかわらず、事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。当初は地元の報道機関を中心に報道をしていたが、内容があまりに残虐であるため途中から報道機関が自主規制し、全国の報道機関での集中報道には結びつかなかったともいわれる。

人物

事件関係者の相関図

便宜上加害者と被害者としたが、状況に応じて加害者Yが被害者になったり、被害者が加害者になったりした。

加害者

  • 松永太 - 1961年4月28日生。北九州市小倉北区出身。両親は畳屋。7歳の時に父が実家の布団販売業を引き継ぐため柳川市に転居。高校卒業数年後に父の店を受け継ぎ有限会社化のちに株式会社にする。社名ワールド。1992年に詐欺罪で指名手配されるまで詐欺商法を繰り返す。1992年に前妻と離婚。病的な嘘つきで自意識が強く目立ちたがり屋。饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い(アフェクションレスキャラクターの傾向) 。異常なまでに執念深く嗜虐的。神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。
  • 緒方純子 - 1962年2月25日生。久留米市出身。短大を出て幼稚園教諭になる。従順で没個性的。法廷では虐待の過程で松永から喉を攻撃されたため、40代ながら老婆のような声になっていた。

被害者

  • A - 2002年に脱出した少女。松永と緒方に虐待されていた。
  • B - 元不動産会社勤務。Aの父。1番目に死亡。
  • C - 農協副理事長。緒方の父。心配性で世間体を気にする性格。2番目に死亡。
  • D - 主婦。緒方の母。3番目に死亡。
  • E - 歯科衛生士。緒方の妹。4番目に死亡。
  • F - 農協関連団体職員。Eの夫で、緒方からみて義弟にあたる。元千葉県警警察官。緒方の家族の中で唯一緒方と血のつながりがない。1986年にEと結婚したが、家を出ていた義姉Yとは事件まで面識はなく、「トラブルを起こす義姉」と見ていた。5番目に死亡。
  • G - 小学生。EとFの長女。緒方からみて姪にあたる。7番目に死亡。
  • H - 保育園児。EとFの長男でGの弟。緒方からみて甥にあたる。緒方の家族の中で唯一虐待を受けていなかった。6番目に死亡。

事件

Y虐待事件

1980年に松永が卒業アルバムを見て同級生の緒方に電話したことで、緒方は松永と交際が始まる。

緒方の両親であるCとDはXが結婚していることで緒方との交際が不倫関係になっているために、緒方に対して松永と別れるように主張していた。松永が緒方の父Cの資産状況だけでなく、緒方の母Dの実家の資産状況をも調べており、Dは私立探偵に松永の調査を依頼していた。しかし、松永が緒方の親であるCとDに料亭で会った際に礼儀正しく好青年らしく振る舞い、CとDをすっかり懐柔した。

松永は緒方に当初はやさしく対応していたが、緒方が昔交際していた男友達の話をしたのをきっかけに暴力をふるうようになり、緒方に古い日記帳を持ってくるように命じ、事細かに詰問しながら殴打するようになった。松永に信用してもらえる方法を懇願した緒方に対し、松永は緒方に身体へのタバコの痕と刺青に自分の名前を刻ませた。

1985年2月に緒方が実家で自殺未遂事件を起こす。このことを盾に松永の暴力はさらに加速し、緒方を幼稚園教諭を辞めさせたり、実家から分籍させたりした。

父娘二人監禁事件

松永と緒方は、布団販売業を営んでいたが、二束三文の布団を高値で販売する詐欺的な商法や客を脅して無理やり布団を買わせる暴力的な商法が警察の知るところとなり、詐欺罪恐喝罪で警察に指名手配された。

そこで、松永と緒方はかつて架空の新会社設立をもちかけた松永の知人Bとその娘Aがいる北九州市内に潜伏するようになる。松永はBの些細な軽犯罪の過去を知り、弱みにつけこみ虐待と拷問をするようになる。1996年2月、松永と緒方は、電気ショックを与えるなどの拷問を繰り返したり、食事を満足に与えないなどBを虐待して衰弱死させた(第1の殺人)。松永は、緒方とAに遺体の解体を命じ、Bの遺体は海に投じられた。

松永はAに対し死亡直前のBに歯型がつく程噛ませた後に写真を撮り、殺害に加担した罪悪感を受け付けさせて虐待を繰り返し、監視下に置いた。

女性監禁事件

松永がAを介して知り合った36歳の女性に対し、京大卒の河合塾講師を装って結婚を約束。この女性は3歳の次女を連れて松永や緒方と同居を始める。

1996年12月30日から1997年3月16日にかけ、松永と緒方は女性(36歳)と次女(当時3歳)を同市小倉南区のアパート二階の四畳半和室に閉じこめ、連日暴行した。

3月16日未明、女性はすきを見て部屋の窓から路上に飛び降り脱出した。

女性の逃亡後、松永らは同居していたアパートをすぐに引き払って姿をくらました。次女は女性の前夫宅の玄関前に置き去りにされた。

女性はその後、精神科に長期入院した。

一家六人監禁事件

B殺害後に松永は金を稼がせるために緒方に大分県湯布院町でホステスとして働かせたが、緒方が松永の元に帰ってこなくなると、松永は緒方がBを殺したことを口実に、身内に殺人犯がいることを露見すると世間体が悪くなることを盾に緒方の父母および妹から松永が住むマンションに呼び寄せた。また、松永は緒方を自分の下に置くために、緒方と度々会っていた妹Eを通じて松永自身の自殺・葬儀を捏造することで、緒方を呼び戻して再び支配下に置いた。そして、緒方に大分県湯布院町の勤め先の雇い主や同僚に罵詈雑言の浴びせる電話をかけさせ、自分以外に戻れる場所をなくした。

緒方を再び支配下に置いた後も松永は緒方の問題で緒方の父母および妹をマンションに呼び寄せて、逃亡資金などとして金品をまきあげた。さらにCに殺害現場である配管を交換させ、証拠隠滅に加担させた負い目を負わせた。さらに、Eの夫Fが頻繁に出かけるEを不審に思っていた。しかし、松永はFに会った際にCの土地が譲渡される問題が不履行であることやEが妊娠中絶の経験があったことを知らされて、義父Cや妻Eに不信感を募らせるように仕向けた。さらに松永はFに対して良き理解者であることをアピールしながら「あなたは騙されて養子に来たんだ」「こんなに騙されて馬鹿ですね。殴るのが当然だし、殴ったって構わないですよ」とFに義父C、義母D、妻Eも殴らせた。一方で、Eが自宅の寝室にダブルベットを置いて部屋のスペースを狭くする愚痴では、松永はEの側になってFを責め立てた。さらにFにB殺害現場の浴室タイルを張り替えさせ、Fに証拠隠滅の負い目を負わせた。後に、松永はFに対して証拠隠滅に加担したことを蒸し返して共犯意識を負わせた。これによりFがCの一家を率いて抵抗する事態はありえなくなった。

さらに、Fは「子供たちを残して小倉に来るのは心配で中々こられない」と松永に漏らしたのをきっかけに、松永はEとFの子供である娘Gと息子Hを連れてくるよう説得し、8月の夏祭りをきっかけにGとHは小倉の松永のマンションに呼び寄せられたが、それ以降GとHを帰さなかった。9月までにF一家4人は住民票登録上は熊本市に引っ越すという形で小学女児であるGと保育園児であるHは元々の小学校や保育園に通わなくなったが、熊本市での居住実態はなくGは小学校に通わなくなった。

一家の奇妙な小倉通いは続く。松永のマンション滞在時は一家4人の免許証と車のキーが取り上げられ、必要最低限のお金しか持てず、ガソリン代や駐車料金は逐一松永に報告して代金を貰い、借用書を書かされた。久留米に戻っているときも、携帯電話で頻繁に連絡を入れて、どこで何をしているのか報告しなければならなくなった。

金が足りなくなるとCは農協からお金を借りたり、Dが消費者金融から金を借りたり、EやFを退職させて退職金を作るなどして、金をつくらせた。さらに、一家4人の行動を不審に思った親類が出てきたが、一家4人は親類に対して絶縁状を送りつけ、親類から孤立化した。

緒方の父母および妹一家が金を借りられなくなると、松永は緒方の父母および妹一家を最終的に監禁状態にし、拷問によって自分たちの言うことを聞かせ、さらに個々の弱みにつけこんで互いが争うように疑心暗鬼に陥らせた。このようにして当時同じように松永の支配下におかれていたAと同様に、緒方の家族は松永の支配下に置かれることになった。

一家六人殺害事件

1997年12月、松永は緒方に命じて、その父親Cを感電させ、結果Cは死亡した(第2の殺人。ただし、裁判では傷害致死と認定)。

度重なる通電によって奇声を発するようになった緒方の母親Dを殺害するよう緒方、その妹E、Eの夫Fに命じ、1998年1月、緒方らに体を押えつけさせた上でFに絞殺させた(第3の殺人)。

さらに、度重なる通電によって耳が遠くなったEに対して、松永は「おかしくなった」などと因縁をつけ、FとYの姪G(=Eの娘)に殺害を命じ、1998年2月、緒方らに体を押えつけさせた上でFに絞殺させた(第4の殺人)。

度重なる通電と食事制限でFが衰弱すると、松永は浴室にFを閉じ込めて、1998年4月、衰弱死させた(第5の殺人)。

1998年5月、大人たちが全員死亡すると、Gは松永に対して、「このことは誰にも言いません。弟Hにも言わせません」として、自宅への帰宅を願い出ている。それに対し、松永は「死体をバラバラにしているから、警察に捕まっちゃうよね。Hが何もしゃべらなければいいけど、そうはいかないんじゃないかな。Hは可哀相だから、お母さん(E)のところへ行かせてやる?」と暗にHを殺すことを命じた。GはHに「お母さん(E)のところに連れて行ってあげる」とうそをつき、緒方とともに、Hを殺した(第6の殺人)。Gは、大人たちの事情もわからないまま事件に巻き込まれ、殺害や遺体の解体を手伝わされた。

その後、松永は「あいつは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」と緒方に殺害をもちかけ、Gに満足な食事を与えず通電を繰り返し、翌6月には緒方とAにGを絞殺させた。そのとき、Gは静かに横たわり、首を絞めやすいように首を持ち上げたという(第7の殺人)。

上記の事件について、松永が緒方とその一族に遺体の解体を命じた。

少女逃亡失敗監禁事件

2002年1月30日に少女Aが松永の隙をみて 北九州に住む祖父母の家へ逃亡。成功して半月ほど祖父母と一緒に暮らし アルバイト先を決めたり、国民健康保険に加入したりと生活の基盤を築き始めていた。

しかし、2月14日に松永の交際相手である伯母のM(Bの姉にあたる)より松永に行方がばれ、強引に連れ戻される。

その後、少女Aは松永と緒方から体に電気を流されたり、爪をペンチではがされたりするなどの虐待を受けた。

発覚

2002年3月6日、少女A(当時17歳)が祖父の家に助けを求めてきたことから事件が発覚した。翌3月7日、松永と緒方が逮捕された。松永と緒方は、容疑や名前も含めて完全黙秘を続け、身分証は偽造されたものばかりであったため、当初は身元が不明であったが、Yが所持していた写真集をきっかけに判明した。

当初は松永と緒方の2人によるAへの傷害と監禁事件と思われた。その後、Aの証言により、松永と緒方は、Aの父親B(当時34歳)の知り合いで、5~6年前から4人で暮らすようになったが、暮らし始めて約1年後にBが行方不明になり、その後は3人で暮らしていたとされた。

後日、別の場所で、Aが世話をさせられていた4人の子どもが発見された。2人については、DNA鑑定で松永と緒方の子供と判明した。残り2人は双子で、別の女性の家庭の不和につけ込んで預かった子供であり、女性から約2500万円を貢がせていた。

数日後、Aが「Bは松永と緒方に殺された」と証言したことから、事件の解明は大きく動いた。さらにAは、緒方の家族6人が殺害され、遺体は解体されてなどにばらまかれたと証言した。

警察は、Aの証言を元に「殺害現場と思われる場所の配管」まで切り出し、DNA鑑定を行ったが、松永が配管や浴室のタイルを交換するなどの証拠隠滅工作をしたことや、7人の遺体がすでに完全に消滅しているために、物的証拠が何もないという状態であった。

最後は緒方が自白したことで、改めて事件の概要が判明した。脅迫や虐待をされる中で被害者たちが作成させられた「事実確認書」、物的証拠はなかったが、AとYの二人の供述から解体に使われたノコギリやミキサーを購入した時期を示すレシート、死体解体を不審に思ったマンション住人の証言などの間接証拠が集められた。

手法

松永がこの事件で用いた手法は以下の通りである。

弱み
松永はまず対象者に言葉巧みに近づいて信用させる一方で、何かしらの弱みを握る。
そして、Xは相手の弱みに乗じて対象者に自分に金を持ってくることを要求させた。松永はこのような対象者を「金主」と呼んでいた。
虐待
相手の弱みを握った松永は被害者に対して様々な暴力・虐待を強いた。
特に裸にした電気コードの先にクリップをつけ身体に挟んで瞬間的に電流を流す「通電」という方法が主に用いられた。激痛が走り目の前は真っ白になり患部は火傷を起こし酷い時には水ぶくれになる。
元々は松永が経営していた従業員がお遊びで始めたことがきっかけであるが、後にこれはXが相手を支配するのに非常に重要なツールとなった。
松永は通電について、被害者らへのしつけが目的の「秩序型通電」と松永が腹を立てた時の「激昴型通電」の二種類であったとしている。
なお、虐待について5歳男児であるHのみは免れたが、10歳女児であるGを含めた他の被害者全員が対象となった。
書類
松永は「弱み」「虐待」を盾に被害者に「事実確認書」などの書類を作らせた。主に以下のようなものがあった。
  • 被害者が将来において書類の中身を実行するもの
相手に無理難題を実行させることを約束させるもので、相手に書類の中身について実行させなければならないと思わせるように仕向けた。
  • 被害者が過去の弱みを告白するもの
署名したことを理由に書類の中身が真実でなくても真実であるように思い込ませて、さらなる弱みを握ったりX自身の責任を逃れるように仕向けた。
マインドコントロール
松永は相手の「弱み」「虐待」「書類」を盾に、「食事」「排泄」「睡眠」など様々な生活制限を強いた。違反した場合は、さらなる虐待を強いた。これらによって被害者を精神的に追い詰めた。
さらに松永は自分を頂点として被害者を序列化した。通電される者は下位の人間であった。松永を頂点とする社会においてどんなに些細な理由でも被害者に通電された。また序列の高い被害者が下位の被害者を通電させるように仕向け、逆らったら下位に落とされて通電されるようにした。
またXは、被害者が別の被害者の悪口や不満をしゃべれば序列の下位から免れるように仕向け、被害者たちの悪口を聞き出した。Xがそれらの悪口や不満を当事者である被害者に吹聴させることによって、被害者たちはお互いを憎しみ合うように仕向けられた。また松永の指示で上位の被害者が下位の被害者に対して通電させた。そのため、被害者たちの個々人が孤立化してしまい、一致団結して松永に逆らうということが無くなった。
またこれらのマインドコントロールによって、被害者が親族である他の被害者を攻撃することに抵抗感を無くさせ、松永は自らの手を汚さずに被害者に殺人や死体解体をさせる土壌を作った。

殺人・死体解体

松永は直接実行をしなかったが、緒方らへのマインドコントロールを通じて、以下のことを実行した。

殺人
松永は金を巻き上げられなくなって用済みになると、自分の手を汚さずに支配している人間を誘導して殺害をさせるよう仕向けた。
松永は明確な言葉で殺害を命じなかったが、Xは被害者らに問題処理の決断を迫る一方で殺害以外の選択肢をことごとく却下して、最終的に被害者らに殺人を選択させるように仕向けさせた。
松永は全て被害者が直接着手する様仕向けた。
上記の経緯から殺害の実行行為に着手せず明確に殺人を命じなかったXを殺人罪で裁くことが出来るのかが裁判で注目された。
死体処理
遺体は浴室でのこぎりとミキサーで分解し、鍋で煮込んで解体処理させるようにアイディアを出し、被害者に選択させ、死体解体の進捗状況が遅いと虐待で急かすように仕向けた。解体された遺体を海や公衆便所などに投棄した。
また水道管や浴室のタイルなどは交換して、証拠を隠滅した。そのため、遺骨や血痕などの殺害の直接証拠が全く無く、捜査機関はAおよびYの証言に依拠せざるを得なかった。

元幼稚園教諭に児童を殺害や死体処理をさせたり、元警察官に殺害や死体処理をさせ、さらに10歳の児童にまで自分の祖父母や両親の殺害や遺体解体に参加させ、さらには姉に弟を殺させ、残った姉も容赦なく殺すといった行為は前代未聞である。第一審判決では、この点について「見逃せないのは、児童が犯行の巻き添えや痛ましい犠牲になっていることである。これらは犯行の残忍で冷酷な側面を如実に示している」と指摘している。

また生存者であるAも死体処理に加担し、また1人の殺害に直接加担したことにはなる(なおAは当時13歳だったため、14歳未満の刑事責任を問うことを禁じた少年法の規定により刑事責任には問われない)。

その他の被害者

これらの事件は被害届が出ていなかったり、嫌疑不十分だったりするため、刑事訴訟となっていない。

  • ワールド(松永が経営していた会社)の元従業員男性 - 詐欺罪の指名手配で逃亡中だった松永に同行。金の工面をしていたが虐待に耐えかね逃走。
  • Xの同窓生女性 - 結婚を餌に1180万円を奪われる。1994年3月に大分県別府湾に飛び込み自殺(他殺説あり)。1993年9月に当時1歳だった女性の子供も不自然な事故死をしている。

裁判

2005年9月28日福岡地方裁判所小倉支部において第一審判決が下された。裁判所は、Xの支配下に置かれてお互いを憎み合っていた緒方とAの証言がほとんど一致し、緒方は自分にとって不利なことも進んで証言していること、一方、無罪を主張する松永の証言には一貫性がないことなどから、松永と緒方がB、C、D、E、F、H、Gの計7人を死に至らしめたと認定した。

ただし、Cに関しては「蘇生させようとした」ことから殺意はみとめられないとして「傷害致死」とし、それ以外を「殺人」と認定した。

裁判所は、容疑者の松永と緒方を「甚だしい人命無視の態度には戦慄(せんりつ)を覚える」「残酷、非道で血も涙も感じられない」「悪質さが突出し、犯罪史上まれに見る凶悪事件」と厳しく非難し、死刑の判決を下した。

松永と緒方は控訴し、2007年9月26日に福岡高裁で判決が下された。松永の死刑判決が維持された。一方で緒方についてはFが元警察官でありながら解体作業や殺害などに加担したことから松永による通電などの虐待が被害者の人格に影響を与えていたことを考慮し、松永に暴力支配を受けており従属的だったと指摘し、捜査段階での自白や公判での反省の態度も考慮されて無期懲役に減刑された。松永はこれに不服を唱え即座に上告、緒方については「量刑不当」として検察側が上告した。

民事訴訟

その後、事件の最中に6年間に亘り監禁されてきたAは、福岡県公安委員会に対し2006年2月に、犯罪被害者等給付金支給法に基づき給付金を申請した。しかし同委員会は、申請時点でBが殺害されてから10年が経過しているとして、2007年3月に申請を却下し不支給と裁定。これを不服とするAは、福岡地方裁判所に支給を求め訴えを起こした。

2010年7月8日に同地裁は、「Bには期限内に申請ができない特別な事情があったのに、機械的に申請期限を当てはめるのは、被害者救済を目的とする制度の趣旨や正義の観念に著しく反する」として、同委員会の裁定を取り消す判決を言い渡し、2011年9月に最高裁で不支給取り消しが確定した。

その他

新堂冬樹の小説「殺し合う家族」はこの事件をモチーフとしている。

関連書籍

  • 豊田正義「消された一家 ――北九州・連続監禁殺人事件」(新潮社)
  • 佐木隆三「なぜ家族は殺し合ったのか」(青春出版社)
  • 中尾圭司「絶望裁判」(小学館)
  • 新潮45編集部「殺戮者は二度わらう」(新潮文庫)

関連項目

外部リンク