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'''山本徳郁'''(やまもとのりふみ、[[1977年]][[3月15日]] - )は、自称[[]]の子の薬中疑惑のある変態である。
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'''山本"KID"徳郁'''(やまもと"キッド"のりふみ、[[1977年]][[3月15日]] - )は、[[日本]]の男性[[総合格闘家]]。[[神奈川県]][[川崎市]]出身。本名は岡部 徳郁<ref>[http://gbring.com/sokuho/news/2008_07/0718_dream_02.htm 【DREAM】7・21KID欠場発表会見の全文「6か月ではなく、半分ぐらいで復活する」] GBR 2008年7月18日</ref>。学歴は[[学校法人桐蔭学園|桐蔭学園高校]]中退〜アメリカ留学〜[[山梨学院大学]]中退。自らが率いる[[総合格闘技]]ジム[[KRAZY BEE]]所属。
  
== 奇行 ==
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ニックネームは「神の子」または「'''KID'''」。ニックネームの由来は本人曰く、「[[ミュンヘンオリンピック]]に出場した父([[山本郁榮]])は自分の中では神。だから俺は神の子(KID)」「格闘の神様の子供」というもの。しかし、この発言以前に、「大学時代、俺の小柄な身体を見たレスリング部の先輩から、まるで子供みたいだから、KIDだ。と綽名されたのが最初」とも本人が語っている。
;須藤元気の頭よしよし事件
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:2005年[[12月31日]]、[[K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!]]にてトーナメント決勝を[[須藤元気]]と対戦し、右フックのダウンから[[グラウンドパンチ|パウンド]]の連打で1RKO勝ち。[[HERO'S]]ミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。だが、勝利した直後「よくやった!お前らよくやった!」と須藤とそのセコンドの頭をなでた行為などが批判を受けた。
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;リングドクターに暴行
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:[[2006年]]2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の[[菊地昭]]の試合後にドクターチェック中であった[[中山健児]]リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE(現・[[KRAZY BEE]])所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した([http://blog.livedoor.jp/shooto_news/archives/50405827.html 山本徳郁およびKILLER BEE所属選手に無期出場停止処分] 日本修斗協会広報誌 BLOG版 2006年2月21日)。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された([http://www.boutreview.com/data/news05/061013shooto-kid.html KIDが協会とコミッションに謝罪。] BOUTREVIEW 2006年10月13日)。
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== 実は弱かった ==
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若い格闘ファンや女性ファンから[[カリスマ]]的人気を持つ反面、不遜とも見える態度と行き過ぎた言動から反感を買うことも多い。しかし鍛え上げられた肉体と卓越した運動能力は日々の鍛錬の賜物であることに疑いの声は無く、前述の言動はヒール的キャラクターを演じている単なるギミックとの説もある。
2006年[[12月31日]]、[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]で総合格闘技のリングに一時復帰。[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]レスリング・グレコローマン55kg級金メダリストの[[イストバン・マヨロシュ]]と対戦し、1RKO勝ちを果たす。しかし、この試合は打撃になれていないレスリングの選手に打撃で勝っても強くないと、コアな格闘ファンから酷評されている。
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突如、プロをやめ、アマレスに転向して北京五輪を目指すこととなったが、あまりにも弱すぎて代表候補にすらなれずに、泣く泣く[[K-1]]に逃げ戻る。あまりの弱さに、ネット上などでは「神の子」でなく「紙の粉」だと酷評された。
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== 来歴 ==
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[[ミュンヘンオリンピック|ミュンヘン五輪]]代表だった山本郁榮を父に持ち、姉・[[山本美憂|美憂]]、妹・[[山本聖子|聖子]]は世界レスリング選手権大会を制覇している。自身も幼い頃より[[アマチュアレスリング|レスリング]](フリースタイル)で活躍。[[全日本学生選手権]]優勝(フリースタイル58kg級)、全日本選手権2位(同級)等の実績を残す。また祖父は水泳のオリンピック選手だったと自身のブログで写真付きで公開している。
  
== 関連事項 ==
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後に総合格闘家に転向。姉・美憂の夫(当時)である[[エンセン井上]]に師事して[[2000年]]に第7回全日本アマチュア[[修斗]]選手権大会ライト級で優勝。翌年プロデビューし修斗のリングで活躍、ライト級世界ランク2位まで登り詰めた。
*[[K-1]]
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*[[八百長]]
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*[[DQN]]
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[[2002年]][[9月16日]]、プロフェッショナル修斗公式戦においてレフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視し相手の勝田哲夫選手を殴り続ける暴挙を働いたため120日間のライセンス停止処分を受ける<ref>[http://www.boutreview.com/data/news/020920shooto-topics.html 修斗コミッションが山本徳郁120日間のライセンス停止処分] BOUTREVIEW 2002年10月1日</ref>。この悪癖は[[K-1]]転向初期にもしばしば見られた。
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[[2003年]][[12月14日]]、修斗で王者[[アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ]]と修斗世界ライト級チャンピオンシップで対戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した。
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[[2004年]][[2月24日]]、[[K-1]]初参戦となる「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で[[村浜武洋]]と対戦。1Rに1度、2Rに2度ダウンを奪い、2R2分38秒KO勝利。潜在能力の高さを見せつけ、一気に人気選手となる。だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。
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その後[[トニー・バレント]]、[[安廣一哉]]、[[ジャダンバ・ナラントンガラグ]]を総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで[[魔裟斗]]に対戦を要求。魔裟斗もこれを受け、2004年[[12月31日]]の[[K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!]]で対戦。1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、実況席からも続行は無理と言われる程であった。また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の[[船木誠勝]]が故意である事を匂わせる発言をした。インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。
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[[2005年]][[3月3日]]の[[HERO'S]]旗揚げ発表会見に出席し、HERO'S参戦が発表されるも、怪我のため、3月26日のHERO'S旗揚げ戦は欠場となった。
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2005年[[5月4日]]、K-1 WORLD MAX 2005にスーパーファイトで出場。しかし[[マイク・ザンビディス]]に生涯初のKO負けを喫した。
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2005年[[7月6日]]、HERO'S 2005にスーパーファイトで出場。[[イアン・シャファー]]と対戦し、TKO勝利。
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2005年[[9月7日]]、HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント〜準々決勝で[[ホイラー・グレイシー]]を右フック一発でKO、準決勝で[[宇野薫]]をパンチで出血させ、TKO(レフェリーストップ)勝ち。
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2005年[[12月31日]]、[[K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!]]にてトーナメント決勝を[[須藤元気]]と対戦し、右フックのダウンから[[グラウンドパンチ|パウンド]]の連打で1RKO勝ち。HERO'Sミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。だが、勝利した直後「よくやった!お前らよくやった!」と須藤、そのセコンドの頭をなでた行為などが批判を受けた。
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[[2006年]]2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の[[菊地昭]]の試合後にドクターチェック中であった[[中山健児]]リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE(現・[[KRAZY BEE]])所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した<ref>[http://blog.livedoor.jp/shooto_news/archives/50405827.html 山本徳郁およびKILLER BEE所属選手に無期出場停止処分] 日本修斗協会広報誌 BLOG版 2006年2月21日</ref>。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された<ref>[http://www.boutreview.com/data/news05/061013shooto-kid.html KIDが協会とコミッションに謝罪。] BOUTREVIEW 2006年10月13日</ref>。
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2006年[[5月3日]]、HERO'Sで[[宮田和幸]]と対戦し、開始4秒の跳び左膝蹴り一発でKO勝ち。この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。
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2006年[[7月23日]]、[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手として[[2008年]]の[[北京オリンピック]]出場を目指すことを宣言。プロ格闘家活動を一時休止する。
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2006年[[12月31日]]、[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]で総合格闘技のリングに一時復帰。[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]レスリング・グレコローマン55kg級金メダリストの[[イストバン・マヨロシュ]]と対戦し、1RKO勝ちを果たす。
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[[2007年]][[1月28日]]、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権大会2回戦でアテネ五輪銅メダルの[[井上謙二]](自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒でフォール負けを喫した。なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本を見下した発言が相次いだ。これは日本レスリング界の伝統の一つである「試合前はマスコミには大口を叩いて、自分を追い込め!」というモットーに則ったものといわれている。(記事[[アマチュアレスリング#自由な参加規程、自由な発想|アマチュアレスリング]]に関連記載有り)
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2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。
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2007年[[9月17日]]、HERO'Sで[[ビビアーノ・フェルナンデス]]と総合格闘技復帰戦を戦った。[[腕挫十字固|腕ひしぎ十字固め]]をかけられ回転して逃げるなど危ないシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージを与え、判定勝ち。試合の1週間前に左手首を負傷した。
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2007年[[12月31日]]、[[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]で[[ハニ・ヤヒーラ]]と対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部への[[サッカーボールキック]]に対してイエローカードが提示された。
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[[2008年]]7月21日、[[DREAM.5]]で[[ジョセフ・ベナビデス]]と対戦予定であったが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂し、欠場となった。その後、8月1日に手術を受け、成功した。同時期に左手首の手術も受けた。
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== 戦績 ==
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=== 総合格闘技 ===
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{{MMA recordbox
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|total=19
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|wins=17
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 +
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 +
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|}}
 +
 
 +
{{Fight-start}}
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{{Fight-header}}
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{{Fight-cont|○| [[ハニ・ヤヒーラ]]| 2R 3:11 KO(左フック)| [[K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!]]| 2007年12月31日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[ビビアーノ・フェルナンデス]]| 3R終了 判定3-0| HERO'S 2007<br />〜ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦〜| 2007年9月17日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[イストバン・マヨロシュ]]| 1R 3:46 KO(膝蹴り)| [[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]| 2006年12月31日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[宮田和幸]]| 1R 0:04 KO(跳び左膝蹴り)| HERO'S 2006| 2006年5月3日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[須藤元気]]| 1R 4:39 KO(右フック→[[グラウンドパンチ|パウンド]])| [[K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!]]<br />【ミドル級 決勝】| 2005年12月31日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[宇野薫]]| 2R 4:04 TKO(カット)| HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝〜<br />【ミドル級 準決勝】| 2005年9月7日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[ホイラー・グレイシー]]| 2R 0:38 KO(右フック)| HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝〜<br />【ミドル級 準々決勝】| 2005年9月7日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[イアン・シャファー]]| 3R 1:23 TKO(レフェリーストップ)| HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント| 2005年7月6日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[ジャダンバ・ナラントンガラグ]]| 1R 1:55 KO(右ストレート)| K-1 WORLD MAX 2004 〜世界王者対抗戦〜<br />【総合ルール】| 2004年10月13日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[安廣一哉]]| 2R 2:40 [[腕挫十字固|腕ひしぎ十字固め]]| K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜<br />【ミックスルール】| 2004年7月7日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[トニー・バレント]]| 1R 0:58 [[裸絞|チョークスリーパー]]| K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜<br />【総合ルール】| 2004年4月7日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[ケイレブ・ミッチェル]]| 1R 0:40 TKO(右フック)| 修斗| 2003年9月5日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[ジェフ・カラン]]| 5分3R終了 判定3-0| SuperBrawl 29| 2003年5月9日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[勝田哲夫]]| 1R 2:45 TKO([[グラウンドパンチ|パウンド]])| 修斗| 2002年9月16日}}
 +
{{Fight-cont|×| [[ステファン・パーリング]]| 1R 0:30 TKO(額カット)| 修斗| 2002年5月5日}}
 +
{{Fight-cont|-| [[ジョシュ・トムソン]]| 2R 2:00 無効試合(ローブロー)| Shogun| 2001年12月15日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[門脇英基]]| 1R 4:02 TKO(右フック)| 修斗 SHOOTO TO THE TOP| 2001年9月2日}}
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{{Fight-cont|○| [[亀田雅史]]| 1R 4:17 KO(パンチ)| 修斗 SHOOTO TO THE TOP| 2001年7月6日}}
 +
{{Fight-cont|○| [[塩澤正人]]| 5分2R終了 判定3-0| 修斗 SHOOTO TO THE TOP| 2001年3月2日}}
 +
{{Fight-end}}
 +
 
 +
=== キックボクシング ===
 +
{{Fight-start}}
 +
{{Fight-header}}
 +
{{Fight-cont|×| [[マイク・ザンビディス]]| 3R 0:39 KO(右フック)| K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜| 2005年5月4日}}
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{{Fight-cont|×| [[魔裟斗]]| 3R終了 判定0-3| [[K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!]]| 2004年12月31日}}
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{{Fight-cont|○| [[村浜武洋]]| 2R 2:38 KO(左フック)| K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜<br />【1回戦】| 2004年2月24日}}
 +
{{Fight-end}}
 +
 
 +
=== グラップリング ===
 +
{{Fight-start}}
 +
{{Fight-header}}
 +
{{Fight-cont|×| [[バレット・ヨシダ]]| 1R 0:26 TKO(タオル投入)| The CONTENDERS Millennium-1<br />【ライト級トーナメント 決勝】| 2001年6月10日}}
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{{Fight-cont|○| [[若林次郎]]| 延長R終了 判定2-0| The CONTENDERS Millennium-1<br />【ライト級トーナメント 準決勝】| 2001年6月10日}}
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{{Fight-cont|○| [[小室宏二]]| 5分2R終了 判定40-38| The CONTENDERS Millennium-1<br />【ライト級トーナメント 1回戦】| 2001年6月10日}}
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{{Fight-end}}
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== 獲得タイトル ==
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* 初代[[HERO'S]][[ミドル級]]王座
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* 全日本アマチュア[[修斗]][[ライト級]]優勝
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== CM出演 ==
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* [[アサヒビール]] SUPER H2O(2007年)
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== TV出演 ==
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* [[今田ハウジング]](2007年11月21日放送)に家族で出演した。姉[[山本美憂]]が番組に実家の風水リフォームを依頼した事に応じての出演。この収録には妹[[山本聖子]]も家族で出演し、父、郁榮の元に一族全員が集合するという光景が見られた。
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== 関連項目 ==
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* [[エンセン井上]]
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* [[保住直孝]] - クラブで大喧嘩したことがある
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* [[男子総合格闘家一覧]]
 +
* [[HERO'S選手一覧]]
 +
* [[K-1選手一覧]]
 +
* [[山本"KID"徳郁 HEART HIT RADIO]]([[ニッポン放送]]月曜日夜)
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* [[レゲトン]]
 +
* [[瓜田純士]]
 +
 
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== 外部リンク ==
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* [http://blog.krazybee.jp/ 山本"KID"徳郁 BLOG]
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* [http://krazybee.jp/index.html KRAZY BEE(主宰ジム)]
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* [http://www.hero-s.com/06fightersinfo/08ya/01kid/01kid.html HERO'S 選手データ]
 +
* [http://www.k-1.co.jp/profile/ya_yamamoto_kid.html K-1 選手データ]
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* [http://www.sherdog.com/fighter/Norifumi-Yamamoto-1354 SHERDOG 選手データ]
 +
* [http://www.iat.uni-leipzig.de/datenbanken/dbwrest/daten.php?spid=4D0525DD050A46CE9DFA1AABB344EF3E Wrestling Database 選手データ]
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== 脚注 ==
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<div class="references-small"><references /></div>
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{{DEFAULTSORT:やまもと のりふみ}}
 +
[[Category:日本の総合格闘家]]
 +
[[Category:日本のレスリング選手]]
 +
[[Category:神奈川県出身の人物]]
 
[[Category:1977年生]]
 
[[Category:1977年生]]
[[Category:蛆虫]]
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[[Category:K-1]]
+
[[en:Norifumi Yamamoto]]
[[Category:八百長]]
+
[[Category:Wikipediaで保護された記事]]
+

2008年10月23日 (木) 11:00時点における版

山本"KID"徳郁(やまもと"キッド"のりふみ、1977年3月15日 - )は、日本の男性総合格闘家神奈川県川崎市出身。本名は岡部 徳郁[1]。学歴は桐蔭学園高校中退〜アメリカ留学〜山梨学院大学中退。自らが率いる総合格闘技ジムKRAZY BEE所属。

ニックネームは「神の子」または「KID」。ニックネームの由来は本人曰く、「ミュンヘンオリンピックに出場した父(山本郁榮)は自分の中では神。だから俺は神の子(KID)」「格闘の神様の子供」というもの。しかし、この発言以前に、「大学時代、俺の小柄な身体を見たレスリング部の先輩から、まるで子供みたいだから、KIDだ。と綽名されたのが最初」とも本人が語っている。

若い格闘ファンや女性ファンからカリスマ的人気を持つ反面、不遜とも見える態度と行き過ぎた言動から反感を買うことも多い。しかし鍛え上げられた肉体と卓越した運動能力は日々の鍛錬の賜物であることに疑いの声は無く、前述の言動はヒール的キャラクターを演じている単なるギミックとの説もある。

来歴

ミュンヘン五輪代表だった山本郁榮を父に持ち、姉・美憂、妹・聖子は世界レスリング選手権大会を制覇している。自身も幼い頃よりレスリング(フリースタイル)で活躍。全日本学生選手権優勝(フリースタイル58kg級)、全日本選手権2位(同級)等の実績を残す。また祖父は水泳のオリンピック選手だったと自身のブログで写真付きで公開している。

後に総合格闘家に転向。姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級で優勝。翌年プロデビューし修斗のリングで活躍、ライト級世界ランク2位まで登り詰めた。

2002年9月16日、プロフェッショナル修斗公式戦においてレフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視し相手の勝田哲夫選手を殴り続ける暴挙を働いたため120日間のライセンス停止処分を受ける[2]。この悪癖はK-1転向初期にもしばしば見られた。

2003年12月14日、修斗で王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと修斗世界ライト級チャンピオンシップで対戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した。

2004年2月24日K-1初参戦となる「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で村浜武洋と対戦。1Rに1度、2Rに2度ダウンを奪い、2R2分38秒KO勝利。潜在能力の高さを見せつけ、一気に人気選手となる。だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。

その後トニー・バレント安廣一哉ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。魔裟斗もこれを受け、2004年12月31日K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦。1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、実況席からも続行は無理と言われる程であった。また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意である事を匂わせる発言をした。インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。

2005年3月3日HERO'S旗揚げ発表会見に出席し、HERO'S参戦が発表されるも、怪我のため、3月26日のHERO'S旗揚げ戦は欠場となった。

2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005にスーパーファイトで出場。しかしマイク・ザンビディスに生涯初のKO負けを喫した。

2005年7月6日、HERO'S 2005にスーパーファイトで出場。イアン・シャファーと対戦し、TKO勝利。

2005年9月7日、HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント〜準々決勝でホイラー・グレイシーを右フック一発でKO、準決勝で宇野薫をパンチで出血させ、TKO(レフェリーストップ)勝ち。

2005年12月31日K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にてトーナメント決勝を須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ち。HERO'Sミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。だが、勝利した直後「よくやった!お前らよくやった!」と須藤、そのセコンドの頭をなでた行為などが批判を受けた。

2006年2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の菊地昭の試合後にドクターチェック中であった中山健児リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE(現・KRAZY BEE)所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した[3]。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された[4]

2006年5月3日、HERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始4秒の跳び左膝蹴り一発でKO勝ち。この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。

2006年7月23日レスリング選手として2008年北京オリンピック出場を目指すことを宣言。プロ格闘家活動を一時休止する。

2006年12月31日K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で総合格闘技のリングに一時復帰。アテネ五輪レスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、1RKO勝ちを果たす。

2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権大会2回戦でアテネ五輪銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒でフォール負けを喫した。なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本を見下した発言が相次いだ。これは日本レスリング界の伝統の一つである「試合前はマスコミには大口を叩いて、自分を追い込め!」というモットーに則ったものといわれている。(記事アマチュアレスリングに関連記載有り)

2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。

2007年9月17日、HERO'Sでビビアーノ・フェルナンデスと総合格闘技復帰戦を戦った。腕ひしぎ十字固めをかけられ回転して逃げるなど危ないシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージを与え、判定勝ち。試合の1週間前に左手首を負傷した。

2007年12月31日K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!ハニ・ヤヒーラと対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部へのサッカーボールキックに対してイエローカードが提示された。

2008年7月21日、DREAM.5ジョセフ・ベナビデスと対戦予定であったが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂し、欠場となった。その後、8月1日に手術を受け、成功した。同時期に左手首の手術も受けた。

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
19 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
17 12 2 3 0 0 1
1 1 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
ハニ・ヤヒーラ 2R 3:11 KO(左フック) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
ビビアーノ・フェルナンデス 3R終了 判定3-0 HERO'S 2007
〜ミドル級世界王者決定トーナメント決勝戦〜
2007年9月17日
イストバン・マヨロシュ 1R 3:46 KO(膝蹴り) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
宮田和幸 1R 0:04 KO(跳び左膝蹴り) HERO'S 2006 2006年5月3日
須藤元気 1R 4:39 KO(右フック→パウンド K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!
【ミドル級 決勝】
2005年12月31日
宇野薫 2R 4:04 TKO(カット) HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝〜
【ミドル級 準決勝】
2005年9月7日
ホイラー・グレイシー 2R 0:38 KO(右フック) HERO'S 2005 〜ミドル級世界最強王者決定トーナメント 準決勝〜
【ミドル級 準々決勝】
2005年9月7日
イアン・シャファー 3R 1:23 TKO(レフェリーストップ) HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント 2005年7月6日
ジャダンバ・ナラントンガラグ 1R 1:55 KO(右ストレート) K-1 WORLD MAX 2004 〜世界王者対抗戦〜
【総合ルール】
2004年10月13日
安廣一哉 2R 2:40 腕ひしぎ十字固め K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【ミックスルール】
2004年7月7日
トニー・バレント 1R 0:58 チョークスリーパー K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【総合ルール】
2004年4月7日
ケイレブ・ミッチェル 1R 0:40 TKO(右フック) 修斗 2003年9月5日
ジェフ・カラン 5分3R終了 判定3-0 SuperBrawl 29 2003年5月9日
勝田哲夫 1R 2:45 TKO(パウンド 修斗 2002年9月16日
× ステファン・パーリング 1R 0:30 TKO(額カット) 修斗 2002年5月5日
ジョシュ・トムソン 2R 2:00 無効試合(ローブロー) Shogun 2001年12月15日
門脇英基 1R 4:02 TKO(右フック) 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年9月2日
亀田雅史 1R 4:17 KO(パンチ) 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年7月6日
塩澤正人 5分2R終了 判定3-0 修斗 SHOOTO TO THE TOP 2001年3月2日

キックボクシング

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× マイク・ザンビディス 3R 0:39 KO(右フック) K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜 2005年5月4日
× 魔裟斗 3R終了 判定0-3 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日
村浜武洋 2R 2:38 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2004年2月24日

グラップリング

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× バレット・ヨシダ 1R 0:26 TKO(タオル投入) The CONTENDERS Millennium-1
【ライト級トーナメント 決勝】
2001年6月10日
若林次郎 延長R終了 判定2-0 The CONTENDERS Millennium-1
【ライト級トーナメント 準決勝】
2001年6月10日
小室宏二 5分2R終了 判定40-38 The CONTENDERS Millennium-1
【ライト級トーナメント 1回戦】
2001年6月10日

獲得タイトル

CM出演

TV出演

  • 今田ハウジング(2007年11月21日放送)に家族で出演した。姉山本美憂が番組に実家の風水リフォームを依頼した事に応じての出演。この収録には妹山本聖子も家族で出演し、父、郁榮の元に一族全員が集合するという光景が見られた。

関連項目

外部リンク

脚注