宮前区

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宮前区(みやまえく)は、川崎市を構成する7区のうちのひとつである。

地理[編集]

宮前区は多摩丘陵上に位置し、区全域で起伏に富んだ地形を有する。そのため、平地はいくつかの川に沿った地域および台地上の狭い地域のみである。そのため、坂が非常に多い。

当区がまだ存在しなかったころ、東急田園都市線開通までは都心に近い立地を生かした農業を行うのどかな農村の体であったが、同線の開通・東名高速道路東名川崎インターチェンジの設置以降、急速に人口が増加し、都市化が進んだ。もっとも、住民の多くは東京都内へ通勤・通学を行っており、東京のベッドタウンとしての位置づけが大きい。20万人の人口を有しながら高校が1校しかないことがそれを物語っている。商業的にも高津区青葉区・そして東京都内の比重が大きい。

隣接している自治体・行政区[編集]

沿革[編集]

川崎市の歴史 も参照

歴史[編集]

この地域は古くから人の定着があったらしい。東高根遺跡や馬絹古墳などの遺跡があるほか、影向寺は7世紀の創建で県内屈指の古刹という。

近世は、水はけの良い地質から畑作農業が中心となり、江戸・東京に近い立地から、果物の栽培や花の栽培が行われていた。昭和初期に地域は川崎市に編入されて同市の一部となるが、その後も戦後しばらくは交通過疎地帯であるために、のどかな農村の体を有していたようである。

もっとも、1966年(昭和41年)の田園都市線開通によって地域は激変する。東京に近いという立地から、東京のベッドタウンとして人口が急激に増加し、街も都市化する。宮前区は当初、高津区の一部に含まれていたが、人口が増加したためにその後に分区され、現在に至っている。

年表

区名の由来[編集]

宮前区の名前は、宮前区の地域を構成した村のひとつ、宮前村に由来する[1]。宮前村は「みやさきむら」と読むが、宮前区が成立した際に漢字のみを継承し、読みは平易なものに改められた。

  • なお、逆に読みの方を継承するのが宮前区内の地名「宮崎」(ただし、「みやざき」)である。

宮前村成立時、村の中央に役場が置かれたのであるが、その村役場の置かれた地が女躰権現社(現馬絹神社)から梶ヶ谷にかけての字名「馬絹村字宮ノ前(みやのまえ)」であったことが宮前村の名前の由来である。「宮ノ前」とは同社の前の土地という意味である[1]

産業[編集]

産業の中心は鷺沼駅である。

地域[編集]

地名[編集]

教育[編集]

大学・短期大学[編集]

高校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

  • 川崎市立鷺沼小学校
  • 川崎市立向丘小学校
  • 川崎市立平小学校
  • 川崎市立白幡台小学校
  • 川崎市立犬蔵小学校
  • 川崎市立稗原小学校
  • 川崎市立菅生小学校
  • 川崎市立土橋小学校

交通[編集]

鉄道[編集]

中心となる駅:鷺沼駅

路線バス[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

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影向寺では仏教伝来間近の7世紀頃まで遡る遺跡が見つかっている (2005年 4月09日撮影)
ファイル:Togakuin 06b5379s.jpg
つつじ寺」とも呼ばれる等覚院 (2006年 5月01日撮影)

名所・旧跡[編集]

  • 稲毛薬師・威徳山影向寺(ようごうじ)
  • 白幡八幡大神(稲毛荘惣社)
  • 野川神明社
  • 有馬神明社
  • 神木山等覚院(とうがくいん)
  • 馬絹神社(馬絹古墳)
  • 東高根遺跡
  • 水沢の森(菅生緑地、平瀬川水源)

観光・レジャー[編集]

その他[編集]

キャッチフレーズ[編集]

「人が好き 緑が好き まちが好き」という区のキャッチフレーズがある[1]

宮前区出身の有名人[編集]

宮前区在住の有名人[編集]

姉妹都市・友好都市[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]